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はじめに
百日咳は細菌感染による小児の急性呼吸器感染症であり、ワクチン予防可能疾患(VaccinePreventableDisea-
ses;VPD)の一つである。わが国では1948年に百日せきワクチンが導入され、ワクチンの普及とともに百日咳患者は激減した。しかし、近年ワクチン効果が減弱した青年・成人層も百日咳に罹患することが明らかとなり、先進国では成人患者の増加が新たな問題となっている。わが国でも2002年以降成人患者が急増傾向にあり、2007年には大学で大規模な集団感染事例が発生した。
病原体
百日咳の原因菌は百日咳菌(Bordetellapertussis)とパラ百日咳菌(Bordetellaparapertussis)であり、両菌ともに非運動性のグラム陰性短桿菌である。百日咳菌とパラ百日咳菌は動物に感染する気管支敗血症菌(Bordet-
ellabronchiseptica)を共通の祖先とし、両者の遺伝的相同性は高い。百日咳菌は飛沫感染により伝播され、ヒトの気管支および小気管支の粘膜上皮細胞または繊毛間で増殖する。その感染力は非常に強く、麻疹ウイルスと同程度と見積もられている。本菌の分離には百日咳菌専用の培地(Bordet-Gengou培地、CFDN培地)を必要とするが、その分離率は20%程度と低い。そのため、菌分離による確定診断が難しく、診断は主に臨床診断と血清診断により実施されている。なお、パラ百日咳菌の分離症例は大変稀であり、本菌については不明な点が多く残されている。
百日咳菌は多様な病原因子を産生し、特に百日咳菌に特徴的なものは百日咳毒素である。本毒素は分子量160kDaの蛋白毒素であり、白血球増多作用、ヒスタミン感受性亢進作用、インスリン分泌促進といった多様な生物活性を示す。百日咳菌とパラ百日咳菌の大きな違いは百日咳毒素の産生能にあり、パラ百日咳菌は毒素遺伝子のプロモーター領域に変異があるため毒素タンパク質を産生できない。毒素産生能との関係は不明であるが、一般にパラ百日咳菌の感染は百日咳菌感染よりも症状が軽いとされている。
ワクチン
わが国では生後3ヶ月からジフテリア・破傷風・百日せき三種混合ワクチン(DTaP)の接種が開始され、追加接種を含め計4回の勧奨接種が実施されている。現行の百日せきワクチンは副反応を引き起こす菌体成分を除いた無細胞ワクチンであり、その主要抗原は無毒化した百日咳毒素(トキソイド)と繊維状赤血球凝集素である。百日咳毒素は世界で接種されるすべての百日せきワクチンに含まれ、発症防御抗原として特に重要である。なお、現行のDTaPワクチンの免疫付与期間は5〜10年程度であり、終生免疫を付与することはできない。また、本ワクチンはパラ百日咳菌の感染防御には無効と言われている。 厚生労働省の感染症流行予測事業では、百日咳に対する抗体保有率を5年ごとに調査している。本事業はワクチンによる集団免疫の現況把握を目的とし、百日せきワクチンの主要抗原である百日咳毒素と繊維状赤血球凝集素に対する血中抗体価が測定される。2003年の調査によると、抗百日咳毒素抗体の保有率は40歳後半で低値(28%)を示したが、その他の年齢層では保有率(41〜60%)に大きな差は認められていない。一方、抗繊維状赤血球凝集素抗体の保有率は25〜44歳で低くなる傾向が認められている。1〜16歳における抗体保有率は1995年以降一定レベルを保っており、この年齢層における集団免疫に特段の変化は認められていない。
疫学
百日咳は感染症発生動向調査における小児科定点把握の5類感染症であり、全国約3,000の医療機関から毎週患者数が報告される。わが国の患者発生数を見ると、百日咳は1995年頃まで4年周期の流行を繰り返していたが、その後流行は徐々に小さくなり、2000年以降では流行の痕跡を認めるだけとなった(図1)。しかし、2002年以降成人患者(≧20歳)が増加し、2007年には全報告数の30%を占めるまでになった。2000年と2007年における患者年齢を比較すると、20歳以上の患者は2000年で全体の2.2%であったが2007年には30.9%にまで上昇した(図2)。一方、0歳児の患者は2000年に46.7%を示したが、2007年には20.4%にまで減少した。同様に1〜3歳児の患者も減少傾向にあり、これらの年齢層ではワクチンによる免疫効果が十分に発揮されていると言える。
米国では1980年代後半から青年・成人層の罹患者が徐々に増加し、2004年における成人患者は全体の27%を占めた。この原因として、1)ワクチンによる免疫効果の減弱、2)環境中の百日咳菌が減り自然感染によるブースター効果が減少、3)PCRなどの高感度な検査法の導入により成人患者が検出され易くなった、などが指摘されている。わが国では成人患者の増加は2002年以降に認められており、米国とは増加開始時期の点で異なる。そのため他の要因についても考察する必要があり、特にわが国では1970年代後半に百日せきワクチンの接種率が低下し、ワクチン未接種の世代(30歳前後)が存在することを考慮しなくてはならない。また、成人患者の臨床像や診断基準が明確ではないため、誤って報告されるケースもかなりの数に上るものと考えられる。なお、成人患者の増加に菌側の要因、例えば抗原性や病原性の変化が関与する可能性が指摘されるが、いままでのところ成人と小児から分離された百日咳菌に細菌学的な差異は認められていない。
百日咳集団感染事例
わが国では産科や小児科病棟などで小規模な百日咳集団感染が散発していたが、今日まで大規模な集団感染を認めることはなかった。しかし、2007年に日本各地で成人集団感染事例が発生し、その多くは学校・職場といった施設で散発した。大学では感染者が200名を越える大規模な集団感染事例にまで発展し、その対策には抗菌薬の投与(予防投薬を含む)、休講などの措置がとられた。これらの集団感染事例では分離菌はほとんど得られず、菌分離を必要とする分子疫学的解析は適用できない状況にあった。そこで、新たな解析法として患者DNA検体を鋳型とするmultilocussequencetyping(MLST)が検討された。MLST解析により、1)2007年の百日咳流行は特定の地域を発端とした全国流行ではなく、市中に潜在する百日咳菌が各々の地域で流行した、2)菌側の要因、例えば病原性や抗原性の変化が関与した可能性は低い、と考察されている。
2007年の百日咳集団感染の多くは学校・職場といった狭い空間を長時間共有するような施設で発生し、百日咳菌がこのような環境に侵入すると感染が容易に拡大するものと考えられる。今回の成人集団感染事例は成人百日咳への新たな対策の必要性を提唱するが、直接的な発生要因はまだ明らかとなっていない。そのため、今後も成人層の集団感染が発生することは否定できず、発症者の早期探知と迅速対応が集団感染の拡大防止に重要となる。
おわりに
百日咳は小児の感染症と従来考えられていたが、近年では青年・成人層の罹患者の増加が世界的に認められている。百日咳は「子供から親」または「親から子供」という家族内感染の存在は知られていたが、2007年の集団感染事例は「大人から大人」への感染が容易に成立することを新たに指摘した。百日咳は青年・成人層が罹患しても重篤になることはないが、ワクチン未接種児では重篤化し易く、わが国でも死亡事例はいまだに認められている。成人百日咳の問題点は「大人から子供」への感染であり、先進国では子供への感染防止を目的に青年・成人層へのワクチン接種が進められている。わが国でもワクチン接種プログラムの再評価と青年・成人層へのワクチン接種について検討を進める段階にきている。
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