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Word Focus TOPページへ戻るNo.86
            
 
<<トピックス>
新型インフルエンザ:咳患者にマスクを

国立感染症研究所名誉所員 大妻女子大学
                                     教授    井上  栄    

  新型インフルエンザがいつ発生するかは神のみぞ知ることであるが、それに対する準備対策を各国が策定している。主として、タミフル備蓄とワクチン開発である。しかし、もし新型インフルエンザが今発生したらどうするか。この二つは間に合わない。そこで、これらを使わない非薬剤対策Non-pharmaceutical interventionが最近議論されている。
  我々は、患者に安価な紙マスクを無料提供するのが良い、という論文を発表したので、それを紹介させていただく(Inouye S et al: Masks for influenza patients: measurement of airflow from the mouth. Jpn J Infect Dis 59:179-181, 2006)。
  マスクをインフルエンザウイルス伝播の抑制に使うときには、非感染者が使うよりも咳患者が使うほうが効率良い。一人の患者からの飛沫の広がりは、その患者がマスクをすることで抑えられるが、患者からマスク無しで飛散してしまった飛沫を吸わないようにするには、多数の人がマスクをしなくてはならない。飛沫が飛んでいる間に乾燥して飛沫核になれば、ウイルスはマスクを素通りする可能性がある。素通りしないためには、厚くて息苦しくなるN95マスクを使う必要があるが、それを一般国民が使うのにはムリがある。
  インフルエンザウイルスの伝播経路を考えてみれば、ウイルスが環境中に散布されるのは口からだけであり、それ以外の場所は無い。その咳が強ければ強いほど、流行は大規模になる。その大元を押さえるのが、患者のマスクである。社会全体から見れば、いったん広がったウイルスから身を守るために抗ウイルス剤を飲む、あるいはワクチンを接種しておくことより、インフルエンザ対策としてはるかに効率が良く、費用がかからない。
  では、患者が使うマスクはどのようなものが良いのか。患者がマスクをしても治療効果があるわけでなく、患者にとってはメリットがないので、自分で金を出しては買わない。患者に無料のマスクを提供して、使ってもらう必要がある。また、患者の呼吸を苦しくするようなマスクなら使ってもらえない。なるべく薄いマスクのほうが良いが、それは飛沫通過を抑えるものでなくてはならない。
  マスクがウイルスの通過をどの程度抑えるかを調べるには、空気中のウイルス量を測る必要があるが、現時点ではそれが技術的にできない。飛沫の量の測定も難しい。そこで、超音波風速計(図1)を使ってマスクによる咳風速の減弱度を測定した。

            
       
図1 超音波風速計                    図2 マスクによる咳風速の減弱
                                         マスク A、ガーゼ;B、紙;C、不織布
                                         実線、咳風速;点線、咳風温度

  マスクは三種類を比較した。すなわち、七十円の一六層ガーゼのマスク、三十円の不織布マスク(三層)、五円の紙マスク(二層)である。結果は図2で、どのマスクでも風速は十分の一以下に減弱した。
 咳風速が低下することは、飛沫が飛ぶ速度も低下することであり、飛沫の飛散量が減り、同時に生ずる飛沫核の量も減るだろう。同じ効果ならば、いちばん安くて、かつ患者の呼吸に負担がかからない五円のマスクが良い。
 そこで次の提案をしたい。新型インフルエンザ発生時には、政府が無料マスクを国民全員に配る。タミフルを1千万人分備蓄する費用は200億円であるが、マスクを国民全員に配布してもわずか6億円である。咳をする人にそれを使ってもらう(咳をしない人は使わなくて良い)。とくに咳をする人で、診療所へ行く患者、学校へ行く小中学生、通勤電車・飛行機の乗客に協力してもらう。国際線飛行機の乗客には航空会社がマスクを配布する。咳が止まるまで同じマスクを使って構わない。
 マスクは差別の烙印にはならない。インフルエンザは急性感染症なので、一週間でマスクをはずせるのだ。患者がマスクをすることは、患者隔離と同じ効果を持ち、かつ、実行可能な方策である。
 さらに、社会全体で咳患者がマスクを使うことには、もう一つの利点もある。咳が強く強毒なウイルス株の出現を抑制できる可能性があるのだ。咳の強い人がマスクをすれば、強い咳を起こすウイルス株の広がりが抑えられるだろう。
 一方、インフルエンザウイルスの中には咳をあまり出さない弱毒株も存在する。このようなウイルス株に感染した人はマスクを使わない。このような株は強い咳を起こす株に比べて広がりにくいので、流行の中で消滅してしまう。しかし、強い咳のウイルス株の広がりがマスクで抑えられていると、咳の弱い弱毒株が徐々に広がることができる。一旦それが広がってしまえば、社会全体に免疫ができるので、咳の強い株は広がることができなくなる。こうしてスペイン風邪ウイルス(肺胞でウイルス増殖し、咳も強かった)のような強毒ウイルスの出現を阻止できるかもしれない。このマスク配布は、新型インフルエンザが発生したら迅速に行うことが肝心である。
 新型インフルエンザが起こったとき、このマスク戦略がほんとうに実行できるかは、前もって試しておくのが良いだろう。人口規模がほぼ同じくらいのいくつかの地方都市を選んで、通常のインフルエンザシーズンに半数の都市でマスクを配布、他の都市は無配布で、両群でインフルエンザ流行に差があるかどうかを調査する。あるいは自衛隊に協力してもらい、いくつかの部隊で両群を比較することも考えられる。こちらの方が、費用が少なく、差もはっきりするだろう。

  《トピックス》                                              (第8回トラベラーズワクチンフォーラム報告)  
            予防接種手帳の作成に向けて
                                   仙台検疫所所長 岩ア  惠美子

はじめに
 交通機関の発達や盛んになった国際交流に伴い、年間1,700万人に近い日本人が海外に渡航している。しかも、それらの約三分の一はアジアなどの感染症が日常的に発生している地域へ渡航している。すなわち、多くの旅行者が感染症のリスクが高い地域へ渡航しているということである。
 このような状況を考えると、渡航先で流行する感染症から国民の生命を守ることが極めて重要であり、それは同時に感染症の持ち帰りによる国内での感染拡大を防ぐことにも繋がることになる。
 そのためには、国民が感染症やその予防法の知識を身に付ける必要があり、特に、予防の大きな柱となる予防接種への正しい知識が求められている。

渡航前予防接種の必要性
 海外渡航者の中には、渡航先で感染症に罹患し重症化する、あるいは帰国後に発症して国内の医療施設で適切な医療が受けられずに生命に係わる、というような例も決して稀ではない。このような状況を防ぐためには、渡航先でどの様な感染症が流行しているかの情報を事前に把握し、それらの感染症に罹患しないための予防接種や感染症の予防に関する十分な知識を渡航前に持つことが必要となる。
 幸い、感染症の中には予防接種によって防ぐことができるものも多いことから、渡航者自らが身を守る手段として渡航前に予防接種を受け、渡航先での健康を自分の責任で管理することが望まれる。
 渡航前の予防接種が日本で普及しない理由として、(1)渡航先で罹患する可能性の高い感染症に対する知識の普及が十分でない。(2)旅行業者が旅行先の感染症リスクの情報提供に消極的である。(3)海外の感染症やそれに対する予防接種などの専門家が少ない。(4)ワクチン接種が保険対象外であるため高価である。(5)予防接種を記録する手帳などがない。(6)副反応での被害だけが歪んで強調されるなど、予防接種に関して多くの国民が正確な知識を得ていない。などが挙げられ、何よりも感染症全体に関する知識の向上が最も必要であることは明らかである。

予防接種の記録
 旅行者各人が自分の予防接種や健康に関するデータなどの記録を持つことは、感染症やその予防法などに関心を持ち、自身の健康管理は自ら行うという自覚を持たせる上では良いのではないかと考えられる。しかし、そのような手帳は、現状では自治体が出産前に母親に渡す「母子健康手帳」以外に日本にはない。
 実際、乳幼児期の予防接種は法律で時期、種類などが決められたものがほとんどで、それらは各自治体が発行する「母子健康手帳」に記載されている。一方、学童期に受ける予防接種では、学校に記録が残されるのみで、母子手帳への記載は母親に任されている。
 そのため、学童期のワクチン履歴を明確に記録している人は少なく、その記憶も定かでない場合が多い。
 また、現在の日本では、学童期以降は予防接種を必要とする機会がほとんど無く、留学や海外渡航でワクチン接種歴やワクチン接種の証明書が求められた時になってはじめて予防接種を意識するようになる。その多くは、入国の条件として黄熱ワクチン接種証明書(通称:イエローカード)を求められる地域に渡航する場合に予防接種を受けているだけで、そのようなことがない限り、感染予防のために自ら予防接種を受ける人は未だ多いとは言えない。
 このような状況を考えると、日本ではまず、自分の健康は自らの責任の下で管理をするとの考え方を普及させることが大切であり、その手段の一つとして予防接種などを記録する手帳を個人が所持することにより、自らの健康管理への自覚も期待できるのではないかと考える。

検疫所での試み
 海外に渡航する際に黄熱の予防接種証明書が必要な場合や、海外での感染症に不安を感じた人が、検疫所に相談に来る。その際に、渡航先や渡航時期、旅行内容、滞在場所など、さまざまな要素に合わせて予防方法や予防接種の必要性などについて指導している。最近では、海外旅行を何度も経験する人が増えており、ワクチンの追加接種が必要になってくる場合もある。
 このような状況を考え、検疫所では「トラベルメイト」という予防接種記録帳を作成して配布してきた。トラベルメイトは携帯しやすいサイズで作成し、万一の渡航先での医療行為にも使えるようにワクチン歴だけでなく、簡単なアレルギー歴や病歴などについても書き込めるようになっている。
 また、これらをより多くの人に使ってもらうために、検疫所のホームページからダウンロードしても使えるようにしている。

今後の予防接種記録のあり方への提言
 世界での感染症の流行状況はこの十年で大きく変わってきた。日本では乳幼児期に予防接種をした後は、社会の中で発生する感染により免疫をつけるというのが以前の形だった。
 しかし、国際化が進む中で、日本では最早ないと考えられて予防接種などには熱心でなくなった感染症に渡航先で罹患したり、あるいは入国してくる人々から感染症が持ち込まれたりする時代に変化してきおり、感染症は多岐にわたっている。
 そのようなことを考えると、個人がそれぞれ予防接種についての正しい知識を持ち、感染症から自分の身を守ることが、社会での流行を防ぐことになる。
 そして、そのためには、乳幼児期からの連続した予防接種記録を個人が所有し、幼少時期の予防接種の履歴を把握できることが重要となる。
 それによって、ブースター(追加接種)の必要性を判断したり、過去の予防接種の際の副反応などを知ることが可能であり、新たな予防接種を実施する際には、それらの情報が参考となる。
 つまり、このような予防接種記録手帳を各人が所有することが、自らの健康を管理する上でも最も望ましいと思われる。

おわりに
 一人が一つの予防接種手帳を持ち、それを一生涯継続して使うことが一番の理想と言えるが、それにはさまざまな障害があるのが現実である。
 現在の状況は、母子健康手帳は自治体がその管理を行い、学童時期でのワクチン歴は学校での管理となる。さらに成人してからの渡航などでの予防接種は各予防接種外来や医療機関で出している予防接種手帳に記録することになり、一人の人間の予防接種記録が繋がることはない。
 これらの問題を解決するためには、厚生労働省と文部科学省などが協力し合うことが不可欠であり、両省が共通の予防接種手帳を作成することを検討して欲しいと強く望む。

文 献
1)法務省ホームページ:出入国管理関係,白書・統計
2)(社)細菌製剤協会:平成17年予防接種に関するQ&A集
3)WHO:International Travel and Health 2005,http://www.who.int/ith/en

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